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”自立”をめざして ~高知・小松健太君の挑戦②~

6月27日(火)放送

「高知に住む小松健太君」のレポの2回目。寄宿舎での暮らしを追う。
彼は脳性麻痺で車いすの生活(…昨日の1回目を見逃したのが痛いなあ)。



※脳性麻痺について定義を調べてみる。
・厚生省(1968年)
「受胎から生後4 週以内の新生児までの間に生じた、
脳の非進行性病変に基づく、
永続的な、しかし変化しうる運動および姿勢の異常である。
その症状は満2歳までに発現する。」


不勉強だったが、この定義の中に「知能」という言葉は出てこない。
【脳性麻痺=知能障害】と思い込んでいたが、全く違うようだ。
ただし随伴障害「(二次的障害」といった感じか)として
知能の低下が見られる場合もないことはないが、
随伴障害自体が個々のケースで内容や程度が異なるので、
随伴障害について画一的なイメージを持つことは誤解を招くばかり、
厳に慎むべきであるようだ。
知らないことは知らないと認めて謙虚に学ぶ姿勢を失ってはいけないなあと反省。

で、健太君13歳、元気である。
小学校時代の「何でもやってもらう生活」から
「自分で出来ることは自分でしたい。よって寄宿舎生活をしたい」と養護学校へ。
寄宿舎では自分たちで出来ることは自分たちでやる。
でも出来ないことも出てくる。そういうときは互いに助け合う。
また、みんなでやることはみんなで話し合って決めるのが「ルール」。
同じ境遇の、同年輩の仲間たちに囲まれて、健太君の顔は実に明るい。
このお互いに助け合う生活で健太君はたくさんの友達を得て、
以前の姿こそ知らなくても人間的にも大きく成長しているのだろうと感じられる。
その健太君に手術の話が持ち上がる。
急激な成長に伴い以前は出来た掴まり立ちが出来なくなったため、
手術・リハビリを行うことで再び掴まり立ちができるようになろう、と。
ただしそのためにはリハビリ期間を半年取らねばならず、
今いる養護学校から転校しなくてはならない。
健太君は帰宅して手術とリハビリについて説明を受け、言った。
「1年無駄に過ごした」と。
お母さんは健太君の寄宿舎で学んだこと、頑張ったことを認めてあげた。
それでも寄宿舎で経験したこと、一緒に過ごした友達。全てかけがえのないもの。
大事な、大好きな養護学校を今になって出なければならない辛さ・寂しさが
「1年を無駄に過ごした」という言葉になったのだろう。

健太君の転校が寄宿舎にも伝えられた。
「落ち込む健太君に何かしてあげたい」仲間たちは計画を練った。
最後の夜、彼らはレクリエーションルームでパーティを開いた。
「また遊びに来いや」「またいつでも帰って来いや」友達の言葉が温かいではないか。
パーティの後、クラスメイトの女の子が待っててくれた。
「あたしの中では健太君が中学部でいちばん話しやすかった。いなくなると寂しい」。
意を決し、目に涙をためつつの「告白」に健太君応えて
「今ののんちゃんやったら大丈夫、大丈夫」
「寄宿舎中学部代表で頑張ってよ、おらん間は」
なんだかとっても眩しく、素敵なやりとりだよなあ。
部屋に戻ると友達たちが一緒に寝ようと集まっていた。最後の夜を一緒に過ごそう、と。
一年の間に得た「親友」たちの温かさ。健太君が頑張ってきたことが伝わる。

手術を受け、リハビリに励む健太君は転校先でも頑張っているようだ。
小学部・中学部20人の学校の中で来るべき運動会の応援リーダーを買って出た。
前の学校で先輩たちによくしてもらったことを思い出し、
「年長者としてこの20人を引っ張っていくんだ」の気概を早速発揮している。

健太君を見ていると、障害って何だろうと思ってしまう。
体に不自由があるのは確実に辛いことだろうと思うし、不便を感じることも多かろう。
そういうことに関しては想像するのが精一杯で、
その想像も正しい像を結んでいるかどうか疑わしいし自信も持てない。
けれど、今さらのように、しかし確実に言えるのは、
体の障害が人間的成長の障害には決してならないのだ、ということ。
健太君や養護学校の生徒さんたちの姿を見ていると、
彼らが持ち合わせている心の美しさ、純粋さが眩しくてたまらない。
蒙を啓かれた、そんな気がした。
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by urutimai1970 | 2006-06-27 21:13